戦国折り紙★真紅の章!戦国折り紙第3弾ついに販売開始!
武田信玄甲斐守護武田信虎の嫡男。はじめ晴信、のち入道して信玄を称す。軍政・外交・謀略すべてに優れた名将で、無敵の騎馬軍団で知られる戦国時代の巨星。惜しむ らくは北隣に上杉謙信という偉大なライバルがいたため、思うように版図は拡大できなかった。上洛途中に持病の労咳が悪化、遠江三方ヶ原に家康を撃破したが 帰国途中に信州駒場の陣中で病没。

山県昌景武田家重臣。飯富虎昌の弟で、初め飯富源四郎と称したが信玄の命で甲斐の名族・山県氏の名跡を継ぐ。「山県の赤備え」と呼ばれ恐れられた無敵の騎馬軍団を率いた。長篠の戦いでは再三の諫言も勝頼には聞き入れられず、全滅を覚悟の上で敵方の鉄砲隊に突撃を繰り返し壮絶な戦死を遂げた。

真田幸村昌幸の子で本名は信繁。妻は大谷吉継の娘竹林院。関ヶ原合戦の際は父昌幸とともに上田城に籠城、徳川秀忠の軍勢を足止めした。後に昌幸とともに紀州九度山 へ配流されるが、大坂の陣の際に豊臣秀頼に請われて入城。元和元年の夏の陣では赤備えの軍団を率いて家康の本陣に迫り、島津家の士に「真田日本一...」 と言わせたほどめざましい奮戦をするも戦死した。

前田慶次利家の甥で名は利大(利太)。戦国のかぶき者(奇人)の代表格で、後に穀蔵院忽之斎(ひょっとさい)を称す。そのくせ戦には滅法強く、上杉景勝に仕え名馬松風にまたがって戦場を駆け回ったと伝えられる。特に長谷堂城の戦いでは退却時に奮闘して追撃する最上勢を支え、直江兼続を助けたことで有名。晩年の消息は不明で、米沢で没したとも大和で没したともいう。

直江兼続上杉謙信・景勝に仕えた知勇兼備の名将。山城守。越後坂戸城主長尾政景の家臣樋口惣右衛門兼豊の子で、謙信の近侍時代から才覚を現し、景勝の家老となる。徳川家康の上杉討伐時に真っ向から挑んだ「直江状」で名高い。

井伊直政 天正三年に徳川家康に近侍として仕えて以来数々の戦功を挙げ、徳川四天王の一人として称された。武勇に秀で「井伊の赤備え」と聞くと敵はみな戦慄したという。関ヶ原では西軍・島津義弘の退却時にその殿(しんがり)を務めた島津豊久を討ち取ったが鉄砲で撃たれ負傷。戦後近江佐和山城十八万石を領すが、慶長七年二月に合戦の傷が原因で死去した。享年四十二歳。


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