福知山城(上):周辺整備ほぼ完了 観光施設として魅力アップ
福知山市のシンボルといえる福知山城。1986年(昭和61年)に再建され、その後、城周辺の様々な整備事業が行われたが、昨年末に天守閣東側に復元された釣鐘門の建設工事完了で、一連の事業がほぼ終わった。市の重要な観光資源として、今後さらに集客効果が上がることが期待される。
福知山城は1579年(天正7年)に明智光秀が丹波国を平定するとともに、中世に造られた横山城を攻略し、近世の城郭に大改築したもので、城主は初代の光秀から末代の朽木為綱まで、20代にわたり統治されてきた。
福知山城は1579年(天正7年)に明智光秀が丹波国を平定するとともに、中世に造られた横山城を攻略し、近世の城郭に大改築したもので、城主は初代の光秀から末代の朽木為綱まで、20代にわたり統治されてきた。
廃城令によって明治の初めに取り壊されたが、昭和40年代に、市民による城再建の機運が盛り上がり始め、市が事業主体となって天守閣を再建することになり、1984年に着工。総工費7億円をかけ、約2年間で完成した。
天守閣が再建されたあとは、福知山城公園整備として様々な事業が進められた。完成した天守閣の土台となる石垣部分は400年以上たっていたことから、石が割れたり、抜け落ちたりしていた。このため、積み直す工事を実施。工事の際は既存の石を利用する形で進められた。石一つひとつに番号がつけられて、できるだけ元の状態で積まれていった。
本丸や上り口沿いの石垣も整備。上り坂沿いの石垣の上には土塀と櫓(やぐら)が設けられ、風格を増した。公園西側の石垣も斜面崩壊をしていたため、大規模な工事が行われ、立派な石垣が積まれた。
二の丸の登城路(現京都地裁福知山支部周辺)にあった銅門(あかがねもん)番所は大正時代初めに、天守閣が取り壊された跡地の天守台にすえつけられていたが、再建の際に、公園西側に移設した。公園内では現存する唯一の城建造物で、歴史を語る貴重な存在となっている。
このほかの周辺工事としては城下に市美術館を建設。市出身で文化勲章を受章した日本画家、佐藤太清氏の絵画を中心に展示しており、建物は隅櫓(すみやぐら)風の城郭を思わせる造りで、景観に十分配慮している。また城そばを流れる法川沿いには親水広場を設けた。城をイメージしたモニュメントや噴水、池、せせらぎなどをつくり、水と親しみ、遊べるようにしている。
昨年3月から約10カ月間かけて復元された釣鐘門は周辺整備の最後の大きな工事となった。門は天守閣東側に設置。2階部分を持つ、高さ7・3メートル、横4・1メートルの造りで、遠くから見てもよく目立ち、城を引き立たせている。
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